日本のゴールデンウイークはお天気続きだったと伝え聞きます。中には30度を越す日もあったとか。春の陽気と呼ぶには少々暑すぎますね。
タイも毎日一度は驟雨がやってくるようになりましたので、どうやら雨季に入ったようです。
なんとも頼りない言い方ですが、特に新聞、テレビで「ハイッ!!いよいよ今日からバンコクも雨季です。この雨季前線はこの後、アユタヤに北上し、、、」などと、日本の桜前線のように大騒ぎしてくれない。
激しい雷鳴や、突然の驟雨で、各人が勝手に実感していくのです。
さて、先週配送のバーンタオ通信4月号でもお知らせした通り、お隣の国カンボジア・プノンペンに行ってきました。
今年の8月に東京で開催予定のイベントにカンボジアの国立舞踊学校の子供達を招聘する交渉のためです。
イベントの総合演出を担当される先生と一緒でした。
現在、ホームページのフォーラム欄「バーンタオ通信BBS」では、日々の出来事を私的・公的を問わず記載した日誌「カメのあゆみはのろいけど・・・」を、だいたい毎日公開しています。
(http://www.hellothai.com/baan-tao/のトップページ、バーンタオ通信BBSのバーナーをクリックしてください。)
たった一泊二日でしたが、感じる事の多い旅でした。普段よりたくさんの事を書いてしまったら、皆さんにも読んでいただきたくなってしまった。
プノンペン滞在二日分を配送します。
息抜きに、熱帯アジアの空気を感じてみてください。
バーンタオ日誌:カメのあゆみはのろいけど・・・
2002年4月28日(日)
「プノンペンの第一印象。緑が多く、可愛らしい、感じの良い街、、、。」
起床:05:00
朝食:ザボン半分
昼食:チャーハン、鳥唐あげ、小海老カクテル等(機内食)
夕食:しゃぶしゃぶなど(プノンペン・平成レストランにて)
酒量:タイガービール数本
講評:出張中で、相手のあることだし、、、。
バンコクは最高気温37度。
朝9時演出家の先生をホテルに迎えに行き、そのまま空港へ。
日曜日ということもあるが、ものすごく道が空いていて、空港に着くのが少々早
すぎた。
11:20発バンコクエアウエーズ922便にてプノンペンへ。
最初はプロペラ機ではないかと危惧したが、ボーイング717のジェット機だった。
一安心。実は、旅行業界出身のくせに飛行機嫌いなのだ。
空港到着後ビザを取る。思ったよりも簡単。
ガイドのサマニ−さんに出迎えてもらい、とりあえず宿泊先のホテル・カンボジ
ア−ナへ。一時はプノンペンの高級ホテルの代名詞であった。
荷物を置いて、ざっと市内を見学する。
夕方、FCC(外国人記者クラブ)のカフェで先日バンコクであったばかりの
BLOOMING TOURの川崎さんと落ち合いトンレサップ河を眺めながらビールを飲む。
一端ホテルに戻ってシャワーを浴びてから夕食へ。外国の初めての街では、必ず
最初に日本食レストランに行くという先生の希望で「平成レストラン」へ。
最初ちょっとしたつまみでビールを飲む。手作りのがんもどきが美味しかった。
その後しゃぶしゃぶ。
水牛の肉でも使うのかと思ったが、オーストラリア産の牛肉とのこと。ここでも
一安心。
食後、市内をすこし散策してホテルへ。
ホテルはトンレサップ河に面しているのだが、そこに大きな船が接岸しており、
中がカジノになっている。
博才がないのは判っているので、完全に冷やかしのために少し覗いて見る。
ほぼ九割が台湾、香港などの中国系の客だった。
そういえば今気が付いた。今まで日本人の観光客に会っていない。
よく日本人観光客は世界中にいるといわれるが、結構流行に左右され行き先に偏
りがあり、最近は中国系の人たちの方がバイタリティーがあるんじゃないかな?
その後バーで少し呑み就寝。00:00頃かな?
プノンペンの第一日の印象。緑が多く、可愛らしい、感じの良い街だと思った。
過去の暗い歴史を思い出しさえしなければ、、、。(このあたりはいずれどこか
で書きます。)
バーンタオ日誌:カメのあゆみはのろいけど・・・
2002年4月29日(月)
プノンペン二日目:「ひとり生き残ったこと自体、奇跡なのだ。」
起床:06:00
朝食:フルーツ各種
昼食:オードブル盛り合わせ、アスパラ入りスパゲティー(メリディアンホテル
内イタリア料理)
夕食:なし
酒量:シンハービール数本。白ワイン、グラス一杯。
講評:出張中で不規則な割には、うまく調整した。エライ。
バンコクは最高気温36度。
朝、モーニングコールの世話にならずに目が覚めた。
先生との待ち合わせの時間まで、部屋から街の様子を眺めていた。
タイより東に位置し、時差はないので、6時なのにもう大分明るくなっている。
朝日が昇るにつれ、朝靄の中に霞む寺院の屋根が、徐々に、鮮やかな金色に輝き
はじめる。
街路樹の緑が、存在感を主張し始める。
その中を、自転車やオートバイで通勤・通学の人たちが走り抜けていく。
熱帯アジアの街に特有の、でもバンコクの街中では余り感じられなくなった朝の
光景だ。
しばらく懐かしい気分にひたりながらボケっとしていた。
7時半朝食。
朝はフルーツだけと決めている小生にとって、ホテルでの朝食ほどつらいものは
ない。
さすが元フランスの植民地。焼きたてのパンやクロワッサンの芳ばしい香りが、
食欲を直接刺激する。
呑み過ぎ気味の胃は、熱いお粥を求める。
目の前でお好みの具を入れて作ってくれるオムレツは存在そのものが刺激的だ。
今日だけ禁を破ろうかと思ったが、辛うじて我慢した。これも人間修行の一種だ
なあ、、、。
8時半ホテル出発、国立舞踊学校へ。
校門をくぐると、深い木立の間に教室棟が点在している。シアヌーク時代から使
用している古い建物なので、まるで寺院建築のようだ。
バイオリンの音が聞こえる。
古典舞踊・音楽ばかりでなく、西洋音楽を教える科もあるようだ。
応接室にて校長で面談。
改めて学校の概要の説明を受ける。機構とすると、国立芸術大学の一部門という
ことのようだ。9歳から18歳までの学生が学んでいる。
校長の説明の後、早速、イベント招聘の交渉を開始する。
過去に事例がないだけに、説明に多少手間取ったが、趣旨は理解してもらえたと
思う。
交渉の後、講堂にて古典舞踊の模範演技、並びに授業風景を拝見する。
さすがにクメール文化を継承する国立の学校だけに、どの子も錬度は高い。
指先の優しい動きなどはタイ舞踊に共通する。
ある人に言わせると、東南アジアの舞踊は骨格の柔らかい子供の方が、大人の踊
りよりも美しいとのこと。さもありなんという気がする。
我々2名のために、数十名の学生が数十分踊ってくれた。全く贅沢な話だ。
講堂の一方では、入学したばかりの子供達が基本動作の指導を受けている。先生
はとても厳しく、物差しのような長い竹の棒でビシビシ床を叩きながら号令を出
す。
ちょっとビックリしたが、この気合には、一種日本の武道の稽古にも似たものを
感じた。また、子供達の真剣な眼差しは素敵だ。ちょっと最近にはない清々しさ
を感じた。
学校を辞し、次は文化省へ招聘に必要な書類をもらいに行く。
学校の古びた建物に比べ、立派な近代的な建物だ。だが、人気がない。
担当部署の大部屋に至っては、ギンギンに冷房を効かせ机は10数人分あるのに2〜
3人しか人が座っていない。
まずは、援助で立派な器を作る。だが、中で仕事をする教育を受けた人材がいな
い。
1975年から1979年までのポルポト政権時代。インテリ層の成人男女の多くが粛清
されてしまった。
今回担当してもらったガイドのサマニ−さんは1970年代前半にプノンペン大学の
日本語科を卒業し、日本にも留学したインテリ層出身の上品な女性だ。
ポルポト時代、プノンペンに住んでいた一族11名はタイ国境に近いバッタンバン
に強制移住させられた。深い密林のなか、マラリアなどの風土病の流行地帯だ。
詳しい事は語らないが、「1979年、プノンペンに戻ったときは私一人きりになっ
ていました。」と淡々と語る。
しかし、サマニーさんがひとり生き残ったこと自体、奇跡なのだ。
国を担う人材を育てるには何十年という時間がかかる。
カンボジアの課題を見せつけられたような思いだ。
フライトの時間が迫って来たので空港へ。
役所同様真新築したばかりのターミナル。働いている人たちの制服まで新しい。
入国の時のビザ代同様、空港利用税20ドルを払って出国。
高いのは仕方ないとして、自分の国の税金を他所の国の通貨で集金しなくて済む
ようになるまで、後どれくらいかかるのだろう?
往路がジェット機だったので安心していたが、ゲートを出てみて驚いた。小さな
プロペラ機が停まっている。
まいったなと思ったが、助走開始後思いがけない早さでふわりと飛び上がり、そ
のまま殆ど揺れることなく、あっけなくバンコクについてしまった。
短かったが、いろいろな事を考えさせられる出張だった。
自分にとってはどんな短い移動、旅であっても、リフレッシュの契機になること
を再認識した。
機会があるごとに、アジアを積極的に動き回ろう。新しい知恵が生まれるチャン
スだ。
ホテル到着後、ホテル内のイタリア料理屋で、遅い昼食をとりながらお疲れさん
会をする。
食後分かれ、先生はタイマッサージを受けに出かけ、小生はスポーツクラブに行っ
て小1時間泳ぐ。
帰宅後少しデスクワーク。00:00頃就寝。
タイも毎日一度は驟雨がやってくるようになりましたので、どうやら雨季に入ったようです。
なんとも頼りない言い方ですが、特に新聞、テレビで「ハイッ!!いよいよ今日からバンコクも雨季です。この雨季前線はこの後、アユタヤに北上し、、、」などと、日本の桜前線のように大騒ぎしてくれない。
激しい雷鳴や、突然の驟雨で、各人が勝手に実感していくのです。
さて、先週配送のバーンタオ通信4月号でもお知らせした通り、お隣の国カンボジア・プノンペンに行ってきました。
今年の8月に東京で開催予定のイベントにカンボジアの国立舞踊学校の子供達を招聘する交渉のためです。
イベントの総合演出を担当される先生と一緒でした。
現在、ホームページのフォーラム欄「バーンタオ通信BBS」では、日々の出来事を私的・公的を問わず記載した日誌「カメのあゆみはのろいけど・・・」を、だいたい毎日公開しています。
(http://www.hellothai.com/baan-tao/のトップページ、バーンタオ通信BBSのバーナーをクリックしてください。)
たった一泊二日でしたが、感じる事の多い旅でした。普段よりたくさんの事を書いてしまったら、皆さんにも読んでいただきたくなってしまった。
プノンペン滞在二日分を配送します。
息抜きに、熱帯アジアの空気を感じてみてください。
バーンタオ日誌:カメのあゆみはのろいけど・・・
2002年4月28日(日)
「プノンペンの第一印象。緑が多く、可愛らしい、感じの良い街、、、。」
起床:05:00
朝食:ザボン半分
昼食:チャーハン、鳥唐あげ、小海老カクテル等(機内食)
夕食:しゃぶしゃぶなど(プノンペン・平成レストランにて)
酒量:タイガービール数本
講評:出張中で、相手のあることだし、、、。
バンコクは最高気温37度。
朝9時演出家の先生をホテルに迎えに行き、そのまま空港へ。
日曜日ということもあるが、ものすごく道が空いていて、空港に着くのが少々早
すぎた。
11:20発バンコクエアウエーズ922便にてプノンペンへ。
最初はプロペラ機ではないかと危惧したが、ボーイング717のジェット機だった。
一安心。実は、旅行業界出身のくせに飛行機嫌いなのだ。
空港到着後ビザを取る。思ったよりも簡単。
ガイドのサマニ−さんに出迎えてもらい、とりあえず宿泊先のホテル・カンボジ
ア−ナへ。一時はプノンペンの高級ホテルの代名詞であった。
荷物を置いて、ざっと市内を見学する。
夕方、FCC(外国人記者クラブ)のカフェで先日バンコクであったばかりの
BLOOMING TOURの川崎さんと落ち合いトンレサップ河を眺めながらビールを飲む。
一端ホテルに戻ってシャワーを浴びてから夕食へ。外国の初めての街では、必ず
最初に日本食レストランに行くという先生の希望で「平成レストラン」へ。
最初ちょっとしたつまみでビールを飲む。手作りのがんもどきが美味しかった。
その後しゃぶしゃぶ。
水牛の肉でも使うのかと思ったが、オーストラリア産の牛肉とのこと。ここでも
一安心。
食後、市内をすこし散策してホテルへ。
ホテルはトンレサップ河に面しているのだが、そこに大きな船が接岸しており、
中がカジノになっている。
博才がないのは判っているので、完全に冷やかしのために少し覗いて見る。
ほぼ九割が台湾、香港などの中国系の客だった。
そういえば今気が付いた。今まで日本人の観光客に会っていない。
よく日本人観光客は世界中にいるといわれるが、結構流行に左右され行き先に偏
りがあり、最近は中国系の人たちの方がバイタリティーがあるんじゃないかな?
その後バーで少し呑み就寝。00:00頃かな?
プノンペンの第一日の印象。緑が多く、可愛らしい、感じの良い街だと思った。
過去の暗い歴史を思い出しさえしなければ、、、。(このあたりはいずれどこか
で書きます。)
バーンタオ日誌:カメのあゆみはのろいけど・・・
2002年4月29日(月)
プノンペン二日目:「ひとり生き残ったこと自体、奇跡なのだ。」
起床:06:00
朝食:フルーツ各種
昼食:オードブル盛り合わせ、アスパラ入りスパゲティー(メリディアンホテル
内イタリア料理)
夕食:なし
酒量:シンハービール数本。白ワイン、グラス一杯。
講評:出張中で不規則な割には、うまく調整した。エライ。
バンコクは最高気温36度。
朝、モーニングコールの世話にならずに目が覚めた。
先生との待ち合わせの時間まで、部屋から街の様子を眺めていた。
タイより東に位置し、時差はないので、6時なのにもう大分明るくなっている。
朝日が昇るにつれ、朝靄の中に霞む寺院の屋根が、徐々に、鮮やかな金色に輝き
はじめる。
街路樹の緑が、存在感を主張し始める。
その中を、自転車やオートバイで通勤・通学の人たちが走り抜けていく。
熱帯アジアの街に特有の、でもバンコクの街中では余り感じられなくなった朝の
光景だ。
しばらく懐かしい気分にひたりながらボケっとしていた。
7時半朝食。
朝はフルーツだけと決めている小生にとって、ホテルでの朝食ほどつらいものは
ない。
さすが元フランスの植民地。焼きたてのパンやクロワッサンの芳ばしい香りが、
食欲を直接刺激する。
呑み過ぎ気味の胃は、熱いお粥を求める。
目の前でお好みの具を入れて作ってくれるオムレツは存在そのものが刺激的だ。
今日だけ禁を破ろうかと思ったが、辛うじて我慢した。これも人間修行の一種だ
なあ、、、。
8時半ホテル出発、国立舞踊学校へ。
校門をくぐると、深い木立の間に教室棟が点在している。シアヌーク時代から使
用している古い建物なので、まるで寺院建築のようだ。
バイオリンの音が聞こえる。
古典舞踊・音楽ばかりでなく、西洋音楽を教える科もあるようだ。
応接室にて校長で面談。
改めて学校の概要の説明を受ける。機構とすると、国立芸術大学の一部門という
ことのようだ。9歳から18歳までの学生が学んでいる。
校長の説明の後、早速、イベント招聘の交渉を開始する。
過去に事例がないだけに、説明に多少手間取ったが、趣旨は理解してもらえたと
思う。
交渉の後、講堂にて古典舞踊の模範演技、並びに授業風景を拝見する。
さすがにクメール文化を継承する国立の学校だけに、どの子も錬度は高い。
指先の優しい動きなどはタイ舞踊に共通する。
ある人に言わせると、東南アジアの舞踊は骨格の柔らかい子供の方が、大人の踊
りよりも美しいとのこと。さもありなんという気がする。
我々2名のために、数十名の学生が数十分踊ってくれた。全く贅沢な話だ。
講堂の一方では、入学したばかりの子供達が基本動作の指導を受けている。先生
はとても厳しく、物差しのような長い竹の棒でビシビシ床を叩きながら号令を出
す。
ちょっとビックリしたが、この気合には、一種日本の武道の稽古にも似たものを
感じた。また、子供達の真剣な眼差しは素敵だ。ちょっと最近にはない清々しさ
を感じた。
学校を辞し、次は文化省へ招聘に必要な書類をもらいに行く。
学校の古びた建物に比べ、立派な近代的な建物だ。だが、人気がない。
担当部署の大部屋に至っては、ギンギンに冷房を効かせ机は10数人分あるのに2〜
3人しか人が座っていない。
まずは、援助で立派な器を作る。だが、中で仕事をする教育を受けた人材がいな
い。
1975年から1979年までのポルポト政権時代。インテリ層の成人男女の多くが粛清
されてしまった。
今回担当してもらったガイドのサマニ−さんは1970年代前半にプノンペン大学の
日本語科を卒業し、日本にも留学したインテリ層出身の上品な女性だ。
ポルポト時代、プノンペンに住んでいた一族11名はタイ国境に近いバッタンバン
に強制移住させられた。深い密林のなか、マラリアなどの風土病の流行地帯だ。
詳しい事は語らないが、「1979年、プノンペンに戻ったときは私一人きりになっ
ていました。」と淡々と語る。
しかし、サマニーさんがひとり生き残ったこと自体、奇跡なのだ。
国を担う人材を育てるには何十年という時間がかかる。
カンボジアの課題を見せつけられたような思いだ。
フライトの時間が迫って来たので空港へ。
役所同様真新築したばかりのターミナル。働いている人たちの制服まで新しい。
入国の時のビザ代同様、空港利用税20ドルを払って出国。
高いのは仕方ないとして、自分の国の税金を他所の国の通貨で集金しなくて済む
ようになるまで、後どれくらいかかるのだろう?
往路がジェット機だったので安心していたが、ゲートを出てみて驚いた。小さな
プロペラ機が停まっている。
まいったなと思ったが、助走開始後思いがけない早さでふわりと飛び上がり、そ
のまま殆ど揺れることなく、あっけなくバンコクについてしまった。
短かったが、いろいろな事を考えさせられる出張だった。
自分にとってはどんな短い移動、旅であっても、リフレッシュの契機になること
を再認識した。
機会があるごとに、アジアを積極的に動き回ろう。新しい知恵が生まれるチャン
スだ。
ホテル到着後、ホテル内のイタリア料理屋で、遅い昼食をとりながらお疲れさん
会をする。
食後分かれ、先生はタイマッサージを受けに出かけ、小生はスポーツクラブに行っ
て小1時間泳ぐ。
帰宅後少しデスクワーク。00:00頃就寝。
★巻頭コラム――カメのつぶやき
カンボジア。
学生時代に、映画「キリングフィールド」を観て以来、いつか行こうと思ってい
たこの国に、やっと足跡を付けることが出来ました。
首都プノンペンは、半日もあれば一回り出来るほどの可愛らしい街です。
フランス植民地時代の建物が所々に残り、街路樹の緑が目に鮮やかで、接する人
々の物腰も柔らかい。とても優しく、感じの良い街でした。
この国が経た、過去の暗い歴史を一瞬忘れさせるほど明るく、暖かい印象を受け
ます。
数年前、ある国際ボランティア団体が主催する「アジア子供文化祭」というイベ
ントを側面支援したことがありました。その際、プノンペンのスラム出身の子供
達の古典舞踊を鑑賞する機会を得ました。
悲惨な現実の中で暮らしているはずなのに、それとは全く関係なく、健気にクメー
ル文化の伝統を継承している子供達の姿を見て、不覚にも、突然涙腺が壊れてし
まいました。
大人達が身勝手に自分達の国の歴史を弄んだ暗澹たる記憶と、目の前で舞う子供
達の無邪気。
そのギャップの大きさに胸を衝かれたのでした。
日本にいると、新聞、テレビで報道される内容でその国の姿を決め付けてしまい
勝ちです。小生自身、「キリングフィールド」に代表されるような、戦争、虐殺、
内戦、政治的思惑などといったネガティブなイメージだけでカンボジアと言う国
を捉えていました。
至極当たり前の事ですが、どこの国、どこの土地にも、普通の人たちの暮らしが
あり、その人たちが守ってきた文化があります。
今まで気づかずに着込んできた先入観の衣を、一つ一つ脱ぎ捨てていく事も、海
外を旅する事、暮らす事の目的の一つ。
今回は時間の関係で行く事が出来ませんでしたが、世界最大の仏教遺跡、アンコー
ルワットもバンコクから僅か1時間足らずのフライトです。
東南アジアの交通の要衝バンコクを拠点に、日本からは直接入りにくい周辺諸国
へ足を伸ばし風物、歴史に触れる事。
これも、味わい深い人生を彩るための秘訣です。
*********************************************************************
【目次】
★バーンタオ日誌
・ついにバーンタオがホームページ上にフォーラムを開設!!
・元撮影コーディネーター面高昌男さんと会食
・バーンタオ、ついにカンボジア進出か?
・その他
★バンコク週報掲載記事「活躍する日本人群像」
「タイ移住の秘訣は“志”を持つこと」
−タイに移住、長期滞在を実践中のH氏の場合−
************************************************************************
★バーンタオ日誌
・バーンタオがホームページ上にフォーラムを開設!!:4月1日(月)
ホームページ上にフォーラムを開設しました。
タイで長期滞在を実践している方のコラム「人間へのはるかな旅」と、
小生の私的日誌「カメのあゆみはのろいけど・・・」を公開中。
書き込み大歓迎です。アドレスは下記の通り。
http://bbs.melma.com/cgi-bin/forum/m00060238/
・旅行業界のゴルフコンペに参加。:4月6日(月)
昼から、LAKE WOOD C.C.にて月一回恒例の旅行業界のゴルフコンペに参加。
勤め人時代から参加していたので特別に参加させて頂いている。
日差しは厳しい。気温はおそらく37度位はあるだろう。
ただ、風が強くさほど暑さは気にならなかった。汗が出る端から乾いていくよう
だった。心地良い暑さ。
ゴルフの大先輩から、今話題のドライバー、ゼグシオを貸していただき使って
みるが、まだ小生の腕が道具についていっていない。スコアメロメロで109。
・元撮影コーディネーター面高昌男さんと会食:4月11日(木)
アジアでの撮影コーディネーションの第一人者、面高昌男さんと会食した。
面高さんは最近引退されたが、アジア地区がテーマになった「世界不思議発見」
の数十本を超える制作や、タイ航空のコマーシャル、映画撮影などで活躍されて
きた。
現在、タイ北部チェンマイの自宅敷地内に、リタイアメント用の施設建設を計画
中。
仕事のエピソードから人生観にいたるまで、縦横無尽の話題の豊富さ面白さ。
特に本題のリタイアメントプロジェクトへのロマンを語る時は若々しく、年齢を
感じさせてない。肉体の年齢と精神の年齢は別物だと実感した。
・バーンタオ、ついにカンボジア進出か?:4月28日(日)
冒頭コラムにも書いたが、ついに念願のカンボジアへ。
今年の8月、東京北区で「アジア子供の夢舞台」という市民参加型のイベントが
行われる。そこに、プノンペンの国立舞踊学校の子供達を招聘する交渉のための
出張だ。
国の事情が異なるので、スムースに事が運ばないのは仕方ない。子供達の教育の
機会と、指導者が理解してくれれば良いのだが、、、。
この出張の様子は近日中にホームページのギャラリーにて公開予定。準備出来次
第速報します。
因みに現在公開中の、ギャラリーのアドレスは、以下の通り。
http://www.hellothai.com/baan-tao/main/gallery/gallery-1.html
*********************************************************************
★バンコク週報掲載記事「活躍する日本人群像」
「タイ移住の秘訣は“志”を持つこと」
−タイに移住、長期滞在を実践中のH氏の場合−
「どこか静かな海岸にあるホテル知りませんか?」
先月下旬、長期滞在体験ツアーにアドバイザーとして同行してくれたHさん
から視察の合間に尋ねられた。
「経営の相談にあずかっている日系部品メーカーの社長から企業戦略を考えて欲
しいと頼まれたんです。」どこか静かな場所で熟考しようと思うので、良いホテ
ルがあれば教えて欲しいと言う。大きな決断を迫る戦略なのだろうか。だが、そ
の表情はいつものように飄々としたものだった。
バンコク郊外バンナーのマンションで、サウナや水泳、そして読書を楽しみなが
ら、妻のNさん(56歳)と「完全なる自由」、「第2の人生」を静かに過ごす
Hさん。
だが常々「人間、青い海と緑の山々があるだけでは暮らしていけないよ」と言う。
シニア世代がリタイアしてタイで生活する秘訣のひとつは志を持つ事だと。
製造業のひとつ、部品メーカーの顧問をつとめること、これもHさんの志だ。
だが、皮肉なことに、実は、日本の製造業の衰退こそが、Hさんがタイに移
住するきっかけだったのだ。
Hさんは日本企業のアユタヤ工場に92年10月に赴任し、5年間滞在した。
この間タイは高度成長期を迎え、企業戦士としてよく働いた。残業も年間1000時
間を超えたという。
そして97年春に帰任。日本の変わりように驚いた。
製造拠点の海外移転で職場の活気がない。資材部門担当として協力会社さんにコ
ストダウンをお願いしなくてはならない。とてもつらい役割だ。将来に明るさが
見えない。
「それなら早いうちに有意義な生き方をした方が良いと、退職してタイへの移住
を決断しました。」帰任して3ヶ月後のことだ。
奥様の反対は?「まったくありません。家内は寒いのが大の苦手な人ですから、
日本の冬になると、いつもこちらに住んで良かったと思っているでしょう。」も
ちろん資金の面などは十分に説明して、「アナタを露頭に迷わせることはしない」
とよく言い聞かせたそうだが。
海外暮らしの秘訣、志のもうひとつに、アジアを学ぶ私塾のインターネット上で
の主宰がある。
「タイで仕事をしていた時、アジアの事は何でも知っていると思っていました。
」ところが日本に帰ってみると、アジアのことは何も知らない事に気づき愕然と
した。
「幸い時間は沢山できたので、一から勉強をし直しました。 」そのうち、一緒
にアジアでビジネスをした仲間も同様だろう、それなら一緒に勉強しようではな
いかと考えたのが始まりだ。
「インタ一ネットという超便利なものができたので、アジアの政治・経済・社会
・歴史・文化・宗教に関する最新の情報を送っております。」執筆のため年間2
00冊以上本を読むという。
97年10月にスタ一トして週二回配信、1月末現在で443回になる。「塾生
とは1000回までという約束でやってます。 もちろん無料ですよ。」
だが「情報は相互交換」 が原則。塾生は住む国の情報を寄せることを唯一の義
務として負っている。それを怠ると?「退塾させます。」
「アジアとの共生は日本の平和と安定のために絶対に必要です。アジアとの共生
で一番重要なことは相手を知ること。そのための勉強であれば愛する祖国のため
に役立つはず」との熱き想いが、配信継続のパワーの源泉なのだ。
そう言えばひとつ聞き忘れた。1度失せたはずの製造業への志が、日系部品メーカ
ーの顧問をつとめることとして何故蘇ったのか?
「それはインターネット学習塾でアジアを知り、そして日本を外から学んだから
かもしれませんね。日本の置かれた状況が外に出てみて判ったんです。」退職金
と預貯金を原資にタイで15年は暮らせると判った時、一切のしがらみが消えた。
「日系メーカーのアドバイスをすることを通して、愛着のある日本の製造業の復
活に、ささやかながら貢献したいと考えたのです。」
インターネット学習塾、そして部品メーカー顧問。一見異なる2つの志。実はそ
の根にある想いは同じなのかも知れない。
(2002年2月15〜21日号掲載)
※ブログ掲載にあたり一部固有名詞はイニシャルにさせていただきました。
YATAGAI Yoshinari / Managing Director
カンボジア。
学生時代に、映画「キリングフィールド」を観て以来、いつか行こうと思ってい
たこの国に、やっと足跡を付けることが出来ました。
首都プノンペンは、半日もあれば一回り出来るほどの可愛らしい街です。
フランス植民地時代の建物が所々に残り、街路樹の緑が目に鮮やかで、接する人
々の物腰も柔らかい。とても優しく、感じの良い街でした。
この国が経た、過去の暗い歴史を一瞬忘れさせるほど明るく、暖かい印象を受け
ます。
数年前、ある国際ボランティア団体が主催する「アジア子供文化祭」というイベ
ントを側面支援したことがありました。その際、プノンペンのスラム出身の子供
達の古典舞踊を鑑賞する機会を得ました。
悲惨な現実の中で暮らしているはずなのに、それとは全く関係なく、健気にクメー
ル文化の伝統を継承している子供達の姿を見て、不覚にも、突然涙腺が壊れてし
まいました。
大人達が身勝手に自分達の国の歴史を弄んだ暗澹たる記憶と、目の前で舞う子供
達の無邪気。
そのギャップの大きさに胸を衝かれたのでした。
日本にいると、新聞、テレビで報道される内容でその国の姿を決め付けてしまい
勝ちです。小生自身、「キリングフィールド」に代表されるような、戦争、虐殺、
内戦、政治的思惑などといったネガティブなイメージだけでカンボジアと言う国
を捉えていました。
至極当たり前の事ですが、どこの国、どこの土地にも、普通の人たちの暮らしが
あり、その人たちが守ってきた文化があります。
今まで気づかずに着込んできた先入観の衣を、一つ一つ脱ぎ捨てていく事も、海
外を旅する事、暮らす事の目的の一つ。
今回は時間の関係で行く事が出来ませんでしたが、世界最大の仏教遺跡、アンコー
ルワットもバンコクから僅か1時間足らずのフライトです。
東南アジアの交通の要衝バンコクを拠点に、日本からは直接入りにくい周辺諸国
へ足を伸ばし風物、歴史に触れる事。
これも、味わい深い人生を彩るための秘訣です。
*********************************************************************
【目次】
★バーンタオ日誌
・ついにバーンタオがホームページ上にフォーラムを開設!!
・元撮影コーディネーター面高昌男さんと会食
・バーンタオ、ついにカンボジア進出か?
・その他
★バンコク週報掲載記事「活躍する日本人群像」
「タイ移住の秘訣は“志”を持つこと」
−タイに移住、長期滞在を実践中のH氏の場合−
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★バーンタオ日誌
・バーンタオがホームページ上にフォーラムを開設!!:4月1日(月)
ホームページ上にフォーラムを開設しました。
タイで長期滞在を実践している方のコラム「人間へのはるかな旅」と、
小生の私的日誌「カメのあゆみはのろいけど・・・」を公開中。
書き込み大歓迎です。アドレスは下記の通り。
http://bbs.melma.com/cgi-bin/forum/m00060238/
・旅行業界のゴルフコンペに参加。:4月6日(月)
昼から、LAKE WOOD C.C.にて月一回恒例の旅行業界のゴルフコンペに参加。
勤め人時代から参加していたので特別に参加させて頂いている。
日差しは厳しい。気温はおそらく37度位はあるだろう。
ただ、風が強くさほど暑さは気にならなかった。汗が出る端から乾いていくよう
だった。心地良い暑さ。
ゴルフの大先輩から、今話題のドライバー、ゼグシオを貸していただき使って
みるが、まだ小生の腕が道具についていっていない。スコアメロメロで109。
・元撮影コーディネーター面高昌男さんと会食:4月11日(木)
アジアでの撮影コーディネーションの第一人者、面高昌男さんと会食した。
面高さんは最近引退されたが、アジア地区がテーマになった「世界不思議発見」
の数十本を超える制作や、タイ航空のコマーシャル、映画撮影などで活躍されて
きた。
現在、タイ北部チェンマイの自宅敷地内に、リタイアメント用の施設建設を計画
中。
仕事のエピソードから人生観にいたるまで、縦横無尽の話題の豊富さ面白さ。
特に本題のリタイアメントプロジェクトへのロマンを語る時は若々しく、年齢を
感じさせてない。肉体の年齢と精神の年齢は別物だと実感した。
・バーンタオ、ついにカンボジア進出か?:4月28日(日)
冒頭コラムにも書いたが、ついに念願のカンボジアへ。
今年の8月、東京北区で「アジア子供の夢舞台」という市民参加型のイベントが
行われる。そこに、プノンペンの国立舞踊学校の子供達を招聘する交渉のための
出張だ。
国の事情が異なるので、スムースに事が運ばないのは仕方ない。子供達の教育の
機会と、指導者が理解してくれれば良いのだが、、、。
この出張の様子は近日中にホームページのギャラリーにて公開予定。準備出来次
第速報します。
因みに現在公開中の、ギャラリーのアドレスは、以下の通り。
http://www.hellothai.com/baan-tao/main/gallery/gallery-1.html
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★バンコク週報掲載記事「活躍する日本人群像」
「タイ移住の秘訣は“志”を持つこと」
−タイに移住、長期滞在を実践中のH氏の場合−
「どこか静かな海岸にあるホテル知りませんか?」
先月下旬、長期滞在体験ツアーにアドバイザーとして同行してくれたHさん
から視察の合間に尋ねられた。
「経営の相談にあずかっている日系部品メーカーの社長から企業戦略を考えて欲
しいと頼まれたんです。」どこか静かな場所で熟考しようと思うので、良いホテ
ルがあれば教えて欲しいと言う。大きな決断を迫る戦略なのだろうか。だが、そ
の表情はいつものように飄々としたものだった。
バンコク郊外バンナーのマンションで、サウナや水泳、そして読書を楽しみなが
ら、妻のNさん(56歳)と「完全なる自由」、「第2の人生」を静かに過ごす
Hさん。
だが常々「人間、青い海と緑の山々があるだけでは暮らしていけないよ」と言う。
シニア世代がリタイアしてタイで生活する秘訣のひとつは志を持つ事だと。
製造業のひとつ、部品メーカーの顧問をつとめること、これもHさんの志だ。
だが、皮肉なことに、実は、日本の製造業の衰退こそが、Hさんがタイに移
住するきっかけだったのだ。
Hさんは日本企業のアユタヤ工場に92年10月に赴任し、5年間滞在した。
この間タイは高度成長期を迎え、企業戦士としてよく働いた。残業も年間1000時
間を超えたという。
そして97年春に帰任。日本の変わりように驚いた。
製造拠点の海外移転で職場の活気がない。資材部門担当として協力会社さんにコ
ストダウンをお願いしなくてはならない。とてもつらい役割だ。将来に明るさが
見えない。
「それなら早いうちに有意義な生き方をした方が良いと、退職してタイへの移住
を決断しました。」帰任して3ヶ月後のことだ。
奥様の反対は?「まったくありません。家内は寒いのが大の苦手な人ですから、
日本の冬になると、いつもこちらに住んで良かったと思っているでしょう。」も
ちろん資金の面などは十分に説明して、「アナタを露頭に迷わせることはしない」
とよく言い聞かせたそうだが。
海外暮らしの秘訣、志のもうひとつに、アジアを学ぶ私塾のインターネット上で
の主宰がある。
「タイで仕事をしていた時、アジアの事は何でも知っていると思っていました。
」ところが日本に帰ってみると、アジアのことは何も知らない事に気づき愕然と
した。
「幸い時間は沢山できたので、一から勉強をし直しました。 」そのうち、一緒
にアジアでビジネスをした仲間も同様だろう、それなら一緒に勉強しようではな
いかと考えたのが始まりだ。
「インタ一ネットという超便利なものができたので、アジアの政治・経済・社会
・歴史・文化・宗教に関する最新の情報を送っております。」執筆のため年間2
00冊以上本を読むという。
97年10月にスタ一トして週二回配信、1月末現在で443回になる。「塾生
とは1000回までという約束でやってます。 もちろん無料ですよ。」
だが「情報は相互交換」 が原則。塾生は住む国の情報を寄せることを唯一の義
務として負っている。それを怠ると?「退塾させます。」
「アジアとの共生は日本の平和と安定のために絶対に必要です。アジアとの共生
で一番重要なことは相手を知ること。そのための勉強であれば愛する祖国のため
に役立つはず」との熱き想いが、配信継続のパワーの源泉なのだ。
そう言えばひとつ聞き忘れた。1度失せたはずの製造業への志が、日系部品メーカ
ーの顧問をつとめることとして何故蘇ったのか?
「それはインターネット学習塾でアジアを知り、そして日本を外から学んだから
かもしれませんね。日本の置かれた状況が外に出てみて判ったんです。」退職金
と預貯金を原資にタイで15年は暮らせると判った時、一切のしがらみが消えた。
「日系メーカーのアドバイスをすることを通して、愛着のある日本の製造業の復
活に、ささやかながら貢献したいと考えたのです。」
インターネット学習塾、そして部品メーカー顧問。一見異なる2つの志。実はそ
の根にある想いは同じなのかも知れない。
(2002年2月15〜21日号掲載)
※ブログ掲載にあたり一部固有名詞はイニシャルにさせていただきました。
YATAGAI Yoshinari / Managing Director





